よく説教されるときに類は類を呼ぶのだからと言われることでしょう。それは、間違いです。 誰かに群れていないと精神が安定しないのは弱いからです。 本当に強い人は誰の中にも入らず孤高の人となります。 それに何日耐えられるかは本人の力量にかかっています。 もちろん卑屈にならず豊な常識・感性・知性を持続したまま孤高の人になっていくわけです。 そうならならないと人を助けることもできませんし、100%に近いプラス進行性なアドバイスもできないでしょう。 類は類を呼ぶ境域に続する人は未完成な人間の証拠です。 分裂した人間関係に正しいものは存在しません。 なあなあ主義の間違った顔色だけ窺う思想が出来上がってるはずです。 偽善者は、そこで、ねずみ算式に増えていくばかりです。 悪人を払いのけるためには時には乱暴な言葉も必要になってきます。 たとえばあなたが痴漢にあったら「やめてください。」とか「おやめになってください。」というような丁寧な言葉で反撃しますか。丁寧語で喋ると、ますます相手の思うつぼにハマり危険な状況を作ってしまいます。時には下品に化けることも必要です。状況の使い訳でいつ、自分は謙遜語で話すべきか下品極まりないない言葉をつかうかは使い分ができないと、どつぼにはまります。ことさら謙遜語で話すと自己主張に限界がでてスキだらけになりドツボから抜け出せなくなり更に白けたことになってしまいますし要は人間は心で喋るのです。親しくなってきたら、少しくらい馴れ馴れしい言葉を使っても違和感ありませんし寧ろ心開いてくれる感じがして嬉しいですよね。なにもかもがタイミングの見極めによって成り立っているのです。 それを知らない女性が最近一人居ました。とても残念な気持ちになりましたが浅はかな知恵で運命が大きく狂った、その方は自ら取り返しつかない状況を作ってしまい失敗して気の毒に思いました。 |