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昭和12年(1937年)12月、かねてから内閣情報部が作詞・作曲を公募していた国民歌が発表されました。題して「愛国行進曲」。作詞は森川幸雄という人、作曲は軍艦マーチを作曲した元海軍軍楽長・瀬戸口藤吉。
一番の歌詞は次ぎのとおりです。 見よ東海の 空明けて 旭日(きょくじつ)高く 輝けば 天地の正気(せいき) 溌剌(はつらつ)と 希望は躍る 大八州(おおやしま) おお晴朗の 朝雲に そびゆる富士の 姿こそ 金甌(きんおう)無欠 揺ぎなき わが日本の 誇なれ ・・・・・ (時雨音羽 編著 日本歌謡集 より引用) 富 士 山 国はこの歌を大々的に宣伝し、国民こぞって歌うように奨励しました。レコードは各社から発売され、当時で100万枚も売れたそうです。出征兵士を送るときも、この歌を歌って激励するようにいわれました。 でも、この歌の歌詞には漢語が多くて、庶民には難しく、七五調の8行詩と長いために、音感の鈍かった当時の大人は、うまく歌えませんでした。 それに、当時の人々は、こんな長調の勇ましい曲よりも、悲壮感を持つ短調の曲の方が好きでした。出征兵士を送るとき、はじめは愛国行進曲を歌って歩き出すのですか、まもなく「露営の歌」や「戦友」に代わってしまうのでした。 日中戦争の戦局は、このころまだ楽勝が続いていました。しかし召集令状が来て出征するということは、表向きはめでたく名誉なことといっても、本人や家族にとっては、つらく悲壮なことでした。 「戦友」にまつわる話は、私のホームページ・チューさんの今昔ばなしと野菜ワールドの、野菜こぼれ話第十一話・京の瓜生石 の枝ページに載せています。 愛国行進曲 戦友 は YouTube で聴くことができます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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